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【転職体験談】②一社目(メーカーの企画営業)~就活から退職まで~初任給は9万円

 

ayumunomiti.hatenablog.com

 

一社目(以下A社)がどんな会社だったかと、辞めるまでの経緯です。

就活時、業界研究や自己分析が甘々だったのが問題だったと思いますが、学生が頭で色々考えたところで、実際働いてみないと分からないことが多いよなと思います。

まぁ、様々な失敗を糧に、今はそれなりに満足した会社に就職できているので、経験としてはよかったと思っています(^_^)

 

A社は、私が好きだったとある分野のメーカーです。理系的な開発に憧れがあったのですが、残業ながら私は文系。A社の企画営業は、「商品を企画し、商品のパッケージとかを設計して製造まで取り仕切る」業務であり、文系でも「商品を開発できる」分野だと考え志望していました

A社は、本社が東京ではありませんでした。説明会は東京で開催されたものに参加しましたが、エントリーシート通過後の一次面接は、東京の日程が合わず、本社がある地方都市に新幹線で行きました(もちろん自腹)。

一次面接で本社まで自腹で来たことが、志望度が高くやる気があると評価されたらしいです(^_^;)

 

入社後は本社勤務になりました。初めての土地で新生活の始まりです。

まず、本社で一週間、自社工場(本社とは違う県、ど田舎)で二週間の研修でした。

この、工場での研修が地獄でした。内容は具体的には控えますが、 後から聞いた話によると、ここ数年、 パリピ系の新入社員が多く、研修もウェイウェイな感じで受けていたので、これはけしからんと思い、思いつきで厳しくしたらしいです。

私の代は真面目でネガティブ系の人が多かったので、悲惨なことになりました。 睡眠と食事が2週間まともに取れなかったので、ズボンがユルユルになり、研修後全部買い換えました笑

最初の給料日は、工場での研修の最後のほうにありました。 もちろん会社になんの貢献もできていませんが、 決まっているお給料は貰えます。

そして、初任給の手取り額は9万円でした。 会社借り上げの家賃代が 2ヶ月分や、工場での食事代などが引かれていました(ほとんど食べられなかったのに‥) 。

渡された給与明細を見て固まっていると、人事が「 初任給で、ご両親やお世話になった人にプレゼントをするように」とかドヤ顔で言いました。

家賃は天引きとはいえ、9万円(今の生活レベルなら別に大丈夫ですが、大丈夫かどうかの話ではない笑)。

新生活はいろいろ物入りです。引っ越しもしているし、業種的にも身なりには気を遣わなければならなかったので、服飾費はそれなりにかかります。

私は貯金があったので何とかなりましたが、ある同期は貯金がなく、人事に「これでは生活ができません」と相談したらしいです笑 先月まで大学生だったのだから、貯金がなくてもおかしくないですよね。

何だか会社の悪口ばかりになってしまいましたが(^_^;)、この最初の一か月間で、この会社なんかおかしいぞと思い、忠誠心みたいなものはなくなりました笑。

一年強で東京支社に転勤になりました。

自分の好きな分野の製品の企画開発営業なのですが、業界の裏を知り「まぁ、そういうもんだよね」と納得はしていましたが、「こんな製品を作りたい!」みたいに情熱を持って仕事することはできなくなっていました。

自分が「別にいらないよね(なんなら、消費者を、騙しているようなもんだよね)」と思うものを、素晴らしいものであるとして開発・製造・販売していかなければならないのが苦痛でしょうがありませんでした。

また、開発には、各種資材サンプルも大量に発生します。製造時にはロスもたくさん出ます。出来上がった製品も、別になくてもみんな生きていけます。「資本主義とはなんぞや、こうやって地球の資源を搾取しまくって、本質的に無意味な消費をしまくって、私たち人間は何をしたいんだ‥?」的な感じにもなってました。笑

そんな感じでなので成績も平均的でした。

離職率は高く、生き残っている営業は、数字(カネ)の為に完全に割りきれるタイプか、商品に本当に思い入れを持って開発しているタイプのどちらかでした。私はどちらにもなれず、どんどん追い詰められ、明日が来るのが嫌で嫌で、ここで私は生き残れないな、と感じていました。

ある日、上司とのミーティングで、とある案件をどう進めていくか話している時、「お前はどうしたいんだ」と聞かれ、「どうもしたくないんです。辞めるしかないですね。」 と反射的に本音で答えていました。

本社に戻って職種を変えるとか提案してくれましたが、転職したくなった時に地方に居るのはかなり不利。A社で勤めあげる覚悟、地方に定住する覚悟はありませんでした。

 

この会社に勤めて良かったことは、私は、企画とか営業とか、「自分はこうしたいんだ!」と情熱を持って仕事するのは向いていない、ということが分かったということです。

逆に、見積作成とか製品の設計の書類作りとか、事務的な作業については苦にならず、周囲からの評価も高かったため、自分は事務職でいこうと思い、事務職への転職を決意しました。

あと、この分野の製品は一般的に言って生活必需品ですが、基本的に必要ないと分かったので、ほとんど買わなくなりました。お金を費やさなくなったので、よかったです!笑